毒親と絶縁するまでの葛藤や苦しみの壮絶なリアル体験記!絶縁したその後の私の生活は?

毒親 ちひろの生い立ち(自己紹介)

この記事は毒親との関係に悩んでいる方が少しでも自分の幸せについて考えてもらえるよう、私の毒親との体験を綴りました。

私の体験記は、毒親との接し方、距離の取り方、付き合い方など参考になることも多いかと思います。

暗い過去を晒すことになりますが、毒親と絶縁したい方は是非最後までご覧ください。

ちひろ
ちひろ
全てが本当の話。胸糞悪くなったらいつでも読むのをやめてくださいね!

ちょっと変わった私の「母親」と「父親」

今でこそ幸せと言える私ですが、過去を振り返るたびに「結構ひでぇ人生だったな」と感じます。

私の過去を振り返るのに、当時のイメージがつきやすいよう、私について簡単に箇条書きしておきますね。

ちひろ(私)
→現在31歳。
19歳の時に結婚&出産をするも、1年ほどで離婚し、シングルマザーとなる。
離婚後はアパートを借り、まだ1歳の息子と二人の生活を始める(当時:20歳)

→人としての常識や厳格はあるものの、自分のものさしがはっきりしていて感情的になりやすい。
怒鳴る&暴力は至って普通の日常。
▼母
→色々なパートをするもののどれも続かず。基本的にはとても明るく社交的。あらゆる宗教の勧誘にひょひょいと付いていき、超底辺のメール詐欺にもひっかかるほどの世間知らず。
母と父ともに趣味はパチンコ。ギャンブルに何の引け目もなく、お金が無くなれば平気で子供たちにたかります。
▼祖母(おばあちゃん)→昔ながらの人の一歩後ろを歩くような良き妻&母。子育てと家事はすべて祖母が担っていた。優しくて心の強い女性。姉弟はみんな祖母のことをお母さんだと思っていたぐらい関わりの強い家族。
▼祖父
→とても愉快で豪快な人。小さい時は姉弟みんなと本気で遊んでくれた。どんなに私たち子供が悪くでも、祖父は世界を敵に回してでも私の味方である。
▼姉
→私より9つも年上。歳が離れている分、一緒に遊ぶなどの経験は少ない。私が小学校5年の時に結婚&出産をしているので、サザエさん的な存在だったのかもしれないが、面倒な問題はタッチしないタイプ。両親と同じくいつもお金に困っていた。
▼弟
→しっかりしているのに、なぜか天然。唯一の男の子なので、母と父に一番可愛がられてた。
▼妹
→末っ子ということもあり、一番甘え上手。中身はその辺の同級生に比べたらしっかりとしているが、家族の問題など面倒くさいことはあまり関わってくれない。
ちひろ
ちひろ
私は4人姉弟の次女。
下に弟と妹がいて、年の離れた姉が一人。
父親と母親、母方の祖父母の8人家族でした。

私が小さい頃の日常

いわゆる「大家族」で育った私ですが、実際に父親と母親に子育てしてもらった記憶はありません。

というより、ご飯も作ってもらったこともありません。

家事の全ては祖母が行い、無邪気な私たち兄妹と真剣に遊んでくれたのは祖父。

父親と母親は共働きで朝から晩まで仕事。休日は夫婦でパチンコかカーセックスに励んでいたので、私たち子供と過ごす時間なんてありません。

もちろん旅行に出かけたこともないし、記憶にあるのは「歩いては行けない公園」へ車で連れてってくれたことでしょうか?

父親と祖父は毎日晩酌するのですが、時折取っ組み合いになるケンカが始まるんです。

「この馬の糞が」

「なによこの!おたんこなす!」

とかなんとか言い合っているけど、いま思えばどっちもどっちですよねw

(いや、むしろどっちでもいいかw)

そのケンカや言い合いが始まるたびに祖母が止めに入って。孫に心配かけまいと気丈にふるまってくれたんだ…と今では思います。

今だからわかるけど、色々一人で背負っていたんでしょう。母親は…記憶に残らないぐらい「その時一体なにをしてたんだ?」って感じです。

存在価値を否定され続けた幼少期

幼少期は「役に立たない」「お前は要らない」と言われて育った私。

そんな激しい日常ですが、父親と母親が何もしてないことが気にならないぐらい、祖父母は優しく、たっぷりの愛情をかけてくれました。

もう本当に、おじいちゃんとおばあちゃんが大好きだったし、亡くなった今でも毎日2人のことを考えています。

だから「自分が不幸だ~」なんて思ったことはありません。

それでも夜になって父親と母親が揃った時間はもう…なんていうか「心地悪い」んです。

勉強すれば

「お前みたいなのが勉強したって無駄だ」と言われ、

犬が欲しいといえば

「お前より賢いから役に立つ。犬飼うからお前は出てけ」

「役立たず」

と罵られることは日常茶飯事。

「お前は兄妹の中でダメな人間。一番要らない存在だ」

なんて言われたこともありました。

悔しい!とか辛い!って気持ちはあったし、何度も親に刃向かったけど、思いっきり叩かれ「まさに力にねじ伏せられる」状態でしたね。

ちひろ
ちひろ
私が死ねば、きっとこの2人は清々するんだろうね~って思ってたな。

お金を平気で無心する両親

財布 お金

色々不満はあったけど、私もなんだかんだと成長し、中学を出てすぐにアルバイトを始めました。

それはもう…!!!!楽しかった!!!

何しても親に必要とされなかった私が、仕事で必要とされ、さらには給料という対価までもらえる喜びに驚きと感動を味わったのを今でも覚えています。

自分が自由に使えるお金が増えたことも嬉しかったけど、私はじめての給料を手にした瞬間に

「このお金があれば、やっと私も家族に必要とされる」

そう思ったのです。

殴られたり、罵倒を浴びせられたり色々ありましたが、私が一番辛かったのは「孤独」。

こんなにもたくさんの家族と暮らしているのに、私はいつも精神的に孤独だった。

ダメな人間

役立たず

お前なんて要らない

そんな言葉が「私はダメな人間なんだ」と洗脳し、「私は生きてるだけで迷惑」「誰も私を必要としない」と感じさせたのです。

だけど、私にお金という付加価値が着いたらどうでしょう?

父親も母親もとても優しくなったんですよ。

私も父親と母親に求められれることが嬉しくて、絶縁するまでたくさんのお金を貢いできました。

離婚時に手にした「財産分与」も「今月も家賃が払えない」と相談されればすぐにお金を届け、「車検代がない」と言わればすぐにお金を渡す。

「今月ピンチだから1(万円)いいかい?」

なんてお金を貸しての連絡も慣れたもの。

なんか変だな、おかしいな、と思いつつも…

「私今必要とされてる!」

と、どこか嬉しくも感じていた自分もいました。

だけど、もちろんですがそんな経済力は長く続きません。私にお金がなくなった時、母親に

「もうお金がない。今までみたいに生活できないかも。これ以上稼ぐなら風俗しかないわ」

って言ったら

「大丈夫!風俗に行っても誰にも言わないから おかんはいつだって味方だよ!風俗行ってくれるかい?」

と言われた時には、ちょっとショックでした。

「いつも助けてくれてるから、今度は私がちひろを助けるよ」

って言葉をどこかで期待してたんですけど…

風俗嬢になるのを応援されるっていうねw

ちひろ
ちひろ
内容は「え?」だけど、文字に起こすとちょっと面白いね(笑)ちなみに風俗嬢になるほど、私の時間も体力もありませんでしたので、やっていませんよw

容姿を否定され続けた数年

そんなこんなで親に対して「あれれ?」と思うことも多々ありましたが、それでも私はなんだかんだ言っても「私のことが必要なんだ」と言い聞かせるように。

まだ息子も小さく、寝不足で倒れそうになりながらも仕事へ行き、子育てだって一人で頑張ってきました。

それでも体は正直で、ついに私は限界を迎えてしまったのです。

私が告げられた病名は

「転換性障害」

疲れとストレスを限界値を超えているのにもかかわらず、無理して生活することよって体に異変が出るというもの。

※転換性障害についてはまた別記事で詳しく紹介します。

私はすぐに治療をはじめたのですが、薬の副作用でみるみる太り…

なんと!まさかの35キロ増し((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

ファッションとかメイクとか大好きだった私もさすがにこれには滅入りました。

母親には

「醜いの自分でもわかるでしょ?それでも私は母親だから見捨てないし、離れないよ」

と。(言葉こそ一語一句まで覚えていませんが…ニュアンスで)

私は自分がどんどんブサイクになる姿に益々自信がなくなり鏡で自分の姿を見るのもやだった。

外に出て綺麗な人を見れば

「あの人は私のことデブスだと心の中で笑ってるんだろうな」

「デブとブスは見ている人を不快にさせるから、私はあまり外に出ない方がいい」

そう自分を押し込み、なるべく外に出ない生活をはじめたのです。

私という「人間」が生きることが許されなかった

「自分の幸せは考えちゃダメ。息子と私たち親のことを幸せにするのが娘でしょう」

そんな風に言われ続けていた日々。

それでも私は時折

「私もあんな風(あの人みたい)に幸せになりたいなー」

なんて願望が出てくるんですよ。

きっと私の願望というより「希望」だったんでしょうね。

そんな想いについて母親に話せば

「あんたはもう離婚もして病気にもなったんだし、自分の幸せなんて考えちゃいけないよ。息子の幸せと親の面倒を見るのが娘として大人として大事なこと」

と、あたかも正しいことのように私に何度も伝えてきました。

ちひろ
ちひろ
何が不思議って、私はこの言葉に対して、何も疑うことをしなかったこと。

毒親と気づいたのは26歳の頃

ここまで読んでくれた方はもうお気づきでしょうが…

要するに私の父親と母親は毒親だったわけです。

それでも私は親に言われたことを疑うこともなく、ずっと信じてきました。

「私が大切だからこそ、かけてくれた言葉」

そう、自分に言い聞かせるように過ごしていたのだと思います。

26歳の時、私は子宮頚がんを発症し手術を受けることに。

当然息子は病院へ一緒に連れていけないので実家に預け、治療を受けました。お金がないとか、息子の世話が大変だ!とか言われるのやだったので、とりあえず5,000円だけ母親に渡し「必要なものを買ってね」と伝えることに。

手術は無事に終了。

退院後に母親から渡していたお金で使わなかった分が返金されました。

ちひろ
ちひろ
これがおかしい話なんです。いつもなら、しっかりポッケにしまいこむ人で、ちょっと買い物に行って息子のお菓子を買ったなんてことになれば、そのレシートを見せられてお金を請求されましたから。

少し経ってから離れて暮らす父方の祖母から連絡きたのですが、

「お母さんにお金もらったかい?」

と言われ、一体なんのお金のことか問いただしてみると

「ちひろちゃんが入院するのにお金が足りないってお母さんから連絡きて、お母さんにお金渡したんだよ」

と。

全然見に覚えもありませんし、そもそも治療費に困ってなんかもいません。

ここで全ての点と点が全て繋がったんです。

あ、この人私をダシにしていろんな人からお金巻き上げてるな

と確信。

とりあえず、私はその事実を確実なものにするためにすぐには母親に言いませんでした。

色々と情報を集めてみると

  • 私の元彼
  • 会社の上司
  • 友達
  • 親戚…

と、まぁいろんな人に母親は、金を貸してくれと頼んだそうです。

その理由も

「ちひろが精神病になって、面倒を見るのに働けなくなったから家計が厳しい」

と、同情を買ったり、人の死を利用して「葬儀費用が足りない」と言ったり。

まぁ出るわ出るわw

そして、もう一つすごいのが

「ちひろが私と違うことをあなたに言うかもしれないけど、精神病になって頭がおかしくなってるから信じないように」

と相手に念を押してあるので、私がどう相手に真実を告げても

「これじゃあ、あのお母さんが大変なのも無理ないわ」

となるわけで。

とりあえず、私は色んな人の中で「頭狂った精神病患者」となったのです。

母親の洗脳術にはあっぱれですね。

わけわからないふりして、誰よりも卑劣な計画を実行し、家族であろうが友達であろうが、みんなを騙す。

いや、本当にあっぱれ!

数ヶ月後、私は母親にこの事実を突きつけたのですが、沈黙する一方。

それでも「パパには言わないで」とか「警察はやめて」とか言う割に反省などせず、

私がこの事実を周りに言っても信じないように手回ししていました。

さすがに、私も愛想を尽かして絶縁することに。

それでも毒親から離れる決心と覚悟はすぐには持てなかった

「あんな奴とも二度と一緒に居るものか!」

そう思ってはいたものの、実際にはそんなに簡単に覚悟を決められなかった自分がいました。

「息子から唯一の親族を奪ってしまうのではないか」

「私はこのまま本当に一人で生きていくのか?」

色んな心の葛藤があるわけです。

それはね、私の心が弱いからですね。きっと。

当時の私は

「どこの誰でもいいから私を助けて」

と思うぐらい思い詰めていたんです。

シングルマザーであることや経済的な不安、これまでのストレス、人間関係の回復…これらすべてを1人で抱えられるほど私もタフではなくなってしまったから。

これ以上、私は現実を知るのも怖かったし、夢なら覚めてくれって感じだったんですよ。

ちひろ
ちひろ
自分が親になってみて「子供に対する無償の愛」を知ったからこそ、まだ母親に対してどこか期待を持っていたんでしょうね。

覚悟を決めて絶縁

親と絶縁すれば、現実的な問題も。家や入院時の保証人もいなくなるので、リアルに絶縁することに抵抗もあったわけです。

実際、今のアパートも何とか友達の手を借りて住むことができましたが、この先引っ越すとなるとめちゃめちゃ大変なんですよ。

親がどうこう…ってこともそうだけど、シングルマザーとして生きていくには「絶縁する=過酷な未来が待っている」という確証もあったこそ、絶縁するのにはかなり勇気がいりました。

でもね…無理だって思った。

私がこのままこの親たちのそばにいれば、何も環境は変わらないし、自分の幸せどころか、息子の幸せさえも奪ってしまう…

それが理解できたから。

私は親に保証人になってもらっていたアパートから、逃げるようにして引っ越しをし、新たな人生をスタートさせることに。

近所にたくさんのお友達がいて、離れるのも本当につらかったんですけど…

「もう絶対に立ち止まらない」

そう決めて、ひたすら前にだけ進むことに。

姉弟の誰一人も今の私の家を知りませんし、この先も教えるつもりはありません。

人の名前で勝手に闇金と契約する人だったので、念のために警察にも届け出を出しています。

ちひろ
ちひろ
毒親との絶縁を決意するまではすごく時間がかかります。でもね、決めて進んだら…びっくりするぐらい「なんてことなかったな」と思いますよ!

今は「自分」を大切に生きることの幸せを実感

絶縁したその後…なんですが…!!

今めっちゃ楽しいですよ♡(笑)

シングルマザーは色々と大変なことも多いけど、毒親から解放されたので晴れて私は自由です。

自信を喪失したこともあったけど、今では夢や目標がたくさんあって時間が足りないぐらい♪

何よりも

「これ以上、なにも失うものはない」

これを味わった人間に怖いものなんてないのです!

生きてるだけで申し訳ない気持ちでいっぱいだった私も、今は夢に向かって歩いているんですから。

ちひろ
ちひろ
幸せって「お金」や「環境」ってすごく大切だけど、息子とゲラゲラ笑っているだけで今はとっても幸せ♪

毒親に悩んでいる人へアドバイス

もしもこの記事にたどり着いたあなたが、今毒親との関係や絶縁について悩んでいるなら…一言言わせてください。

「大丈夫!毒親から離れたらこの悩んでいた時間でさえ笑える日が来ます」

でも、もしも自分を押し殺して、このまま毒親との関係を続けていくつもりなら

「幸せになれない(望めない)という覚悟を持っていますか?」と聞きたいです。

どちらの覚悟もけして軽いものではありません。でも、自分の人生は誰も変えてくれないんですよ。自分で自分の道を切り開かなくちゃいけないから。

自分の未来の幸せまでは考えられなくても…自分の心を殺さずに生きることについて希望を持ってほしいです。

ちひろ
ちひろ
私は決断こそ渋りましたが、今毒親と絶縁したことで後悔していることなんて1つもありませんよ~。

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